1人の小娘が枯れ枝を拾いに山に行くと、
誰かに呼ばれたように思い、
辺りを見回します。
そこには雑草の中から只1本、
小さい菜の花が咲いてしました。
「お前、こんな所で、よく淋しくないのね」
小娘が言うと
「淋しいわ」 菜の花は親しげに答えます。
菜の花は、雲雀の胸毛に着いて来た種が此処で零れたと言い、仲間の多い麓の村へ連れて行って欲しいと頼みます。
可哀想に思った小娘は、菜の花を根から静かに抜くと、手に持って、山路を村の方へと下っていきました。
暫くすると、路に添って小さな流れが、水音をたてて流れていました。
「あなたの手を随分ほてるのね」
菜の花は言います。
菜の花の首はうなだれて小娘の歩調に合わせて振れています。
小娘は当惑し、菜の花を小川に浸して流します。
小娘は流れていく菜の花を見失いように走りながら、麓の村に急ぎます。
志賀直哉が『菜の花と小娘』を書いたのは、学習院高等科に在学中(1904年M37)の、21歳の春。
当時のことを彼は、改造(1938年S13)06月号『続創作余談』で、こう書いてます。
世間に発表したもので云へば[網走まで」が私の処女作であるが、それ以前に「或る朝」といふものがあり、これが多少とも もの になった最初で、これをよく私は処女作として挙げてゐる。「或る朝」以後は書く物が兎に角小説らしくなったから、これが処女作でもいいわけであるが、更に遡ると、高等科の頃、一人上総の鹿野山に行った時書いた「菜の花と小娘」を別の意味で処女作と云つていいかも知れない。アンデルセンのお伽噺を愛読してゐた時で、其影響で書いたものだ。如何にも子供らしい甘いもので、そのまま十何年か仕舞ひ込んで置いたが、安孫子に住んでゐた頃、ある婦人雑誌で五円の懸賞金でお伽噺を募集してゐるのを見て、家内に儲けさしてやらうと云ふので、一ト晩かかつて、少し長かつたのを条件通り六枚に書縮め、翌日家内に清書さして、家内の名前で応募したところ、見事落選、原稿もそのまま返って来なかった。それから間もなく「金の船」といふ子供雑誌から原稿を頼まれ、再び家内に清書さして送ったところ、今度は十八円の原稿料を貰ひ、却って儲かった。
アハハ 昨日の 本の山 が、さっそく役立ってます。↑↑↑
芥川さんは「アンデルセンから影響を受けて書いた」「如何にも子供らしい甘いもの」と言っているけれど、16年経って ( 懸賞金稼ぎ (笑) に ) 書き縮めたものは、37歳の小説家の手にかかり、本物の小説に変貌をとげてるように思います。
実はこの作品の原案については、厳密にはふたつの草稿があるんだそうです。
草稿「花ちゃん」は現存するとのこと。
読んでみたいなぁ~
宮城勉さんの論文『志賀直哉「菜の花と小娘」論~第三の処女作の位相~』に、こう書かれています。
余程アンデルセンを意識していたみたいです。
でも私には、アンデルセンというより小川未明を彷彿させるように感じられました。
【好きな場面】
菜の花を小川に流してからの、菜の花と小娘の下りが面白いんです。
特に、菜の花が早い流れに乗ってしまって、追いかける小娘が疲れてしまう場面があります。
菜の花が「今度はあなたが苦しいわ」と心配そうに言います。
が、小娘が却って不愛想に、「心配しなくてもいいのよ」と答えました。
菜の花は、叱られたのかと思って、黙って了いました。
こんな感じで、菜の花と小娘の微妙な関係性がとても面白い。
かえるが出てきて菜の花が怖がっているのを見て、小娘がはははと笑っていたり、
ふたりのやりとりが予想出来ない感じで進んでいき、最後までわくわくさせてくれるお話でした。