暗夜行路 ( 前篇 ) 、途中でちっと停滞したけれど、おおむね良好に読了しました。
( ワタシが読んだ ) 筑摩現代文学大系20 には、前編しか入っておらず、後編読むなら、もう一冊買わないとならない。
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後編を読むか悩んでます。
暗夜行路は、志賀直哉が、1921年 ( 大正10年 ) から発表し始め、1937年 ( 昭和12年 ) まで断続的に掲載されていったもので、完結まで17年もかかっています。
作者自身も『続創作余談』に「手古摺つた物」と言っていますが、難産だった理由のひとつに、長編小説が苦手だということを挙げています。
大正元年の秋、尾道にゐた頃から書き出し、三年の夏までかかつて、どうしても物にならなかつた。夏目さんから手紙で、東京朝日新聞に出すやうに勧められ、その気で書いてゐたが、新聞の読物故 豆腐のぶつ切れは困るから、その心算 ( つもり ) で書くやうにというやうな夏目さんからの注意があり、これには困つた。 (中略) それまでが白樺の同人雑誌で何の拘束もなしに書いて来た癖で一回毎に多少の山とか謎とかを持たせるやうな書き方は中々出来なかつた。
確かに志賀直哉は、『暗夜行路』以外の作品の殆どが短編。
個人的には、短編の方が好きです。
芥川龍之介も長編が書けないと言われていたけれど、お二人とも長距離ランナーではなかったみたい。
MOURIも「暗夜行路、学生の頃 30~40ページで降りた」と言っていたけれど、最初のテンポは非常にキツい。
2段組み59ページも費やされた第一章は、主人公の謙作が、友達と一緒に芸妓相手に遊び回っているだけで、そのどこにテーマが潜んでいるのか分からず、迷走してしまいました。
序章 ( 主人公の追想 ) は、いいんです。
謙作が、母の死をキッカケに、兄弟中ひとりだけ、祖父の家にひきとられていくという、ミステリアスな導入部分に引き込まれる。第一章は期待でいっぱいだったけど、退屈だったなあ。
第一章の最後から、物語が動き出す。
悶々とした生活を送っていた謙作は放蕩の旅に出る。祖父の愛人だったお栄と結婚したいと思い、兄に仲立ちを頼むが難航。その時謙作は、初めて自分の出生を知ることになる。その辺りから、段々話が面白くなる。
実は謙作は父の子ではなく、祖父と母との間に生まれた不義の子だったんです。
出生の秘密は、兄貴もお栄も知っていたけれど、本人だけ知らなかった。
母が死んだ時、父が自分だけを祖父の家にやった理由もこれでわかった。
結婚したい女が出来、父に相談しても冷たくされた。その結婚話も先方から断られた。
それは、全部自分が不義の子だったからだと、やっとわかったなんて、そりゃ参るだろうなぁ。
それから謙作の葛藤の日々がずっと描かれていきます。
紆余曲折あって、お栄は謙作からの ( 結婚の ) 申し出を断り、彼の元を去っていく。
傷心の謙作は、尾道・京都と環境を変え過ごす内、直子という女性を見初め、結婚する。
しばらくは直子と幸せな生活を送っていた謙作だが、謙作が旅行で留守中、直子は彼女の従兄に言い寄られ関係を持ってしまう。
一旦は不義を許そうと思いながらも、揺れ動いた心のまま、緊張感あふれる生活が続く。
謙作は、癇癪を起して乱暴になったりする。
更には子どもの死にも見舞われ、大山に旅に出る。
旅先の謙作の次第に気持ちが落ち着いていく様子が、綿密に表現されています。
ラストは、大山で病に倒れた謙作の元に駈けつける直子の想いが描かれて終わるけれど、
夫婦の間の緊張感が、大自然の中で、やんわりほどけていく、そんな予感を感じさせる所で前篇は終わる。
既に完結した感があるので、後編を読もうか否か、考え中。
【代表作とは】
世間で志賀直哉の代表作を『暗夜行路』『城の崎にて』があげられますが、不思議に思います。
短編の中に、これぞ志賀直哉という作品が沢山あるからです。
例えば、『或る朝』『クローディアスの日記』『網走まで』などなどなど。
『城の崎にて』は、教科書に載ってて「ええっ」と思った後味の悪い作品でした。
主人公が九死に一生を得た心持ちを、静養先で見た小動物の死と重ね合わせ、
「死」というものを考える話でしたが、鼠やイモリの死ぬ描写があまりにも生々しくトラウマになりました。
志賀直哉は描写がウマいから余計でした。
今回、40年ぶりに読み返してみたけれど、やっぱり読んでて辛かったです『城の崎にて』は。
【創作のキッカケ】
『暗夜行路』もまた、『時任謙作』同様、志賀直哉の半私小説と考えられています。
志賀直哉は、尾の道で此長編『 時任謙作 』を書いていた時、讃岐へ旅行をして屋島に泊つた晩、寝つかれず、色々と考へている内に、「若しかしたら自分は父の子ではなく、祖父の子ではないかしら」という想像をしたことがあったそうです。
私が物心つかぬ頃、父は釜山の銀行へつとめてゐた事があり、しかも其時私の母は東京に残つてゐた。それに、私が十三の時に三十三で亡くなつた母の枕元で、祖父が「何も本統に楽しいと云ふ事を知らさず、死なしたのは可哀想なことをした」と声を出して泣いた。父は其時泣かなかつた。此印象は後まで私に残つてゐて、父に対する反感になつてゐたが、自分が若しかしたら祖父の子ではないかしらと云ふ想像をすると、かう云ふ記憶が急に全く別な意味をもつて私に蘇つて来た。~中略~月夜の屋島の淋しい宿で寝つかれぬままに私がした想像は如何にも馬鹿気たものだつた。翌朝起きた時には自身それを如何にも馬鹿馬鹿しく感じたが、私は安孫子で今は用のなくなつた書きかけの長編を想ひながら不図此事を憶ひ出し、さういう境遇の主人公にして、それを主人公自身だけ知らずにゐる事から起る色々な苦みを書いてみようと想ひついた。此想ひつきが「時任謙作」から「暗夜行路」への移転となつた。前述『続創作余談』より
【作品のモデルについて】
父親との確執を題材に書き始めた小説ですから、おのずと登場人物も志賀直哉の周りの人物がモデルではないかと言われています。
<坂口>
最初に登場する友人の作家 坂口は、里見弴だという話もあります。
白樺派の盟友、志賀直哉と里見弴は人生の内、何回か衝突し、絶交も何回かしているけれど、この時期は、里見弴が『妻を買ふ經驗』で、志賀直哉らしき人物を露骨な形で登場させたことで、絶交していた時期と思われます。
第一章の冒頭は、「時任謙作の坂口に対する段々に積もって行つた不快も坂口の今度の小説で到底結論に達したと思ふと、彼は腹立たしい中にも清々しい気持ちになった。」と書かれています。
相当、怒り心頭だったのかも知れません。
<祖父>
序文の回想シーンで登場する祖父のことを、志賀直哉は「みすぼらしい」「貧乏臭い」「下品」と記述しているけれど、彼は、実在の祖父のことは非常に尊敬していたようです。
私は祖父を尊敬した。私は肉親といふ私情を除いても、自分の此世で出会つた三四人の最も尊敬すべき人の一人として祖父を尊敬している。それ故、「暗夜行路」の主人公の祖父には此祖父と思ひきり類似点のない人間を書かねば気が済まなかつた。前述『続創作余談』より
最後にコレ。
YouTubeで見つけた、在りし日の志賀直哉さんのインタビューです。
以下、JUGEM当時のコメント欄です ↓
- beatle001
- 2014/07/30 10:48 AM
- Marco
- 2014/07/30 12:32 PM
(中略)
二疋の仔猫は俵の上で上になり下になりふざけてゐたが、そのうち誤つて一疋が俵から下へ落ちた。落ちた仔猫は急に興ざめのしたキョトンとして様子で哀れつぽい声で二タ声三声啼いた。何所からか急いで親猫が出て来て仔猫の身体を甞めてやつた。」
いいですねぇ。
外猫遊びが好きなのでよく見る光景、あるあるわかるわかるとうなづいてしまいました。
流石 情景描写の天才-志賀直哉さん、何気にこんなところにも凄い文章が…。
同時に志賀直哉さんの作品に対するbeatle001さんの知識、流石です。
そんな部分があったのに気が付かず、読み飛ばしていたようです。
こんなお宝が随所にあるのですから、再読しなくては勿体ないですね。
脱線しちゃいますが、
動物の描写について考えていたら、
島木健作の「赤蛙」「黒猫」「むかで」「ジガ蜂」を思い出しました。
上記短編は、結核を患い死に直面した作者が、病中の散歩の途上 或いは病床で見た一情景をスケッチしたもので、「城の崎にて」も確か里見弴と散歩をしていて電車に跳ね飛ばされた後の療養時に見た情景だったと思うけど、共通性を感じて読み比べた記憶があります。
「城の崎にて」⇔「赤蛙」
個人的には「赤蛙」の方が好きなんですけれど、情景描写の素晴らしい作品はやっぱり大好きです。
- beatle001
- 2014/07/31 8:57 AM
「暗夜行路」後編、猫の引用ありがとうございます。
ズバリ、これです(笑)。ジッと観察していても、普通こうは書けないでしょうけど、志賀直哉の場合、脳裏にむかし見たシーンが焼きついていて、それがある時生き生きと一幅の絵のように再現される、のでしょうか。「見ようとしないで見てしまう眼」とかなんとか、志賀を評したのは、広津和郎だったか小林秀雄だったか。
子猫たちや親猫の行動が鮮やかによみがえってきます。
島木健作もお読みになっているんですね。残念ながらわたしは読んでないので、ちょっと図書館でも探してみます。未読のものが溜まっているので(それと読むのが遅い!)、少し時間がかかりますが。
志賀直哉では、「濠端の住まい」のニワトリの親子が鮮やかですね。
わたしには、謙作の青春彷徨が楽しく、いろいろな女性に恋愛と性欲のまじった感情で接して、それでニタニタしたり、家に帰ってからも思い出して執着したり、また、そういう自身がおもしろくなかったり、まあそういうところに共感したりして、読みました(笑)。でも、最初十代のころ読んだときは、1回投げ出したこともあるから、威張れません(笑)。
『暗夜行路』は、よくいわれるように「短編の集成」のような作品かと、わたしもおもいます。細かなところに好きなシーンがたくさんあります。
飲みやさんに謙作を探しにきた友人が、戸をあけてはいってくると、外との温度差で、その友人のメガネがみるみる曇ったり・・・。
後編の大山へ登る途中の「峠茶屋」で、親猫と子猫が積んである米俵のところで遊んでいる様子など、たわいのないところが好きで、時々読み返します(笑)