ずっと幸田露伴の書いたものは“難解なもの”と思ってました。
以前、幸田露伴・文 父娘のドラマを見て、露伴の厳格ぶりに、作品の方もゴリゴリと堅苦しいのではないかと勝手に思っていたんです。
その印象は、半分正しく、半分あてはずれ。
ちくま日本文学全集に収められている11編を読了し、露伴という作家の素養豊かさに感服しました。
堅苦しいというイメージは、登場人物像の描写をみて払拭。
例えば『太郎坊』と『貧乏』は夫婦の日常の話で、夫婦間の深い信頼関係が築かれている様子や、あうんの呼吸が生き生きと描かれてます。
しかし二つの作品は、全く別の人が書いたと錯覚する程タッチが違う。
そんなところに露伴のふところの深さ、引き出しの多さを感じました。
緻密な人間描写は、志賀直哉とも里見弴とも違う角度だけど温かい。
おっかなくて手厳しい印象の露伴さんだったけど、温もりあふれる心情を感じたんです。
『太郎坊』は、主人が日頃から愛玩していた猪口を割ってしまったことから、昔の許嫁を思い出し、そのいきさつを妻に話してきかす話です。
夕方、庭に打水をし、風呂にでかける夫の台詞がこんなです。
「
膳立 が出来ているというのが、毎日毎日版に摺ったように定まっている寸法と見える。」ちくま日本文学全集『太郎坊』p.10
夫婦の会話は、お武家さんのような優雅な言葉づかい。
何度でも繰り返し読み味わいたくなる文章です。
「アア、酒も好い、下物 も好い、お酌はお前だし、天下泰平という訳だな。
アハハハ。だがご馳走はこれっきりかナ」「オホホ、厭ですネエ、お戯謔 なすっては。今鴫焼 を拵えてあげます。」
これが『貧乏』になると、夫婦の会話も鉄火になる。貧乏所帯の夫が妻に酒を買ってこいという、
妻の方では口答えをしながらも酒を調達してくる話。
まるで落語のような夫婦のやりとりです。
「お銭 が有ったらエ。「フン、有情漢 よ、オイ悪かあ無かったろう。「いやだネ知らないよ。「コン畜生め、惚れやがった癖に、フフフフフ。ちくま日本文学全集『貧乏』p.29
会話を閉じる 」 をあえて付けないのは、掛合いテンポの為かもしれません。
そんな会話の中には、思わず膝を叩きたくなるような
「冗談を云わずに真誠 に、これから前 どうするんだか談 して安心さしておくれなネエ。茶かされるナア腹が立つよ、ひとが心配してるのに。ちくま日本文学全集『貧乏』p.42
かといって、11作全部がサクサク読めるものではありませんでした。
漢文調の文体に慣れずに、なかなか頭に入ってこないものもあるんです。
『突貫紀行』は、露伴が18歳の時に赴任していた北海道余市の電信局から、文学を志すために脱出し、歩いたり電車に乗り継いだりしながら東京に戻ってきた時のことを綴ったものなんだそうな。
紀行とあるように、他の作品とは違う漢文調の文体になっていることが、紀行の主たる露伴自身の心持を、客観的につきはなして書かれているのが効果的。初見では、情景が頭に浮かばず、睡魔が襲うこともあるけれど、不思議なことに、読み返してみると、心にズシンと突き刺さる度合いは、ツルッと読み通せるものに比べて深いく心に残る気もする。
『観画談』と『幻談』は、怪談と言っていいのかな。
身の毛もよだつヒュ~ドロドロの怪談ではなく、精神世界に触れるような話。二作品とも、芥川龍之介の「羅生門」「蜘蛛の糸」に通じるものがあります。
・・・違った! 逆だわ、芥川龍之介が幸田露伴の影響を受けたということでしょう。
『観画談』は、貧困生活を送りながら勉学に励む、大器晩成の男が、ついに神経の病を抱え保養地を求めて、東北の山奥の寺に行き着く。その寺には万病に効く霊泉があると言われ、「大器氏」は雨の中、寺に入る。大雨の中、避難するように移った寺の一室で、大器氏は、煤けた額を目にする。
橋流水不流とあった。橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず、と口の中で扱い、胸の中で咬かんでいると、忽たちまち昼間渡った仮かりそめの橋が洶々 と流れる渓川 の上に架渡 されていた景色が眼に浮んだ。水はどうどうと流れる、橋は心細架渡 されている。橋流れて水流れず。サテ何だか解らない。シーンと考え込んでいると、忽たちまち誰だか知らないが、途方もない大きな声で
橋流れて水流れずと自分の耳の側はたで怒鳴どなりつけた奴があって、ガーンとなった。ちくま日本文学全集『観画談』p.129
更に大器氏は、古びた画を見つける。ありがちな涅槃像か何かかと思ったその画には、非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのが描かいてあり、蝋燭の光を頼りにその画を見ていく内に、一艘の小舟に乗っている船頭に目が行った。
船頭の老夫 は艫 の方に立上って、かしぐいに片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火 を段々と近づけた。遠いところから段々と歩み近づいて行くと段々と人顔 が分って来るように、朦朧 たる船頭の顔は段々と分って来た。膝ッ節ぷしも肘もムキ出しになっている絆纏みたようなものを着て、極々小さな笠を冠 って、やや仰いでいる様子は何ともいえない無邪気なもので、寒山 か拾得 の叔父さんにでも当る者に無学文盲のこの男があったのではあるまいかと思われた。オーイッと呼よばわって船頭さんは大きな口をあいた。晩成先生は莞爾 とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏って吹込んで来た冷たい風に燈火はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄 として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯ただこれ一瞬の事で前後はなかった。ちくま日本文学全集『観画談』p.129
ねっ、芥川龍之介の世界みたいじゃないですか?
露伴の文章は、現代ではあまり使われないような言葉で溢れているから、一辺では分からないこともあります。でも2回3回と繰り返して読む内に、スラスラと頭に入って来て、情景もハッキリ浮かんできます。
そうなると、もっともっとと物語の行方が気になってくる。
『幻談』も同様に奇妙な話。
水死者が握って離さない素晴らしい釣竿を、奪おうとする釣り客と船頭の話。
翌日、またも釣りに出た2人は、昨日と同様に
「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はありあしねえ、竿はこっちにあるんだから。ネエ旦那、竿はこっちにあるんじゃありませんか。」怪かいを見て怪とせざる勇気で、変なものが見えても「こっちに竿があるんだからね、何でもない」という意味を言ったのであったが、船頭もちょっと身を屈 めて、竿の方を覗く。客も頭の上の闇を覗く。と、もう暗くなって苫裏 の処だから竿があるかないか殆ど分らない。かえって客は船頭のおかしな顔を見る、船頭は客のおかしな顔を見る。客も船頭もこの世でない世界を相手の眼の中から見出したいような眼つきに相互に見えた。ちくま日本文学全集『幻談』p.196
そうそう、これでいくつお話したっけ、まだ5つねぇ。
『雁坂越』と『鵞鳥』は、人情話でした。
露伴は、情愛というものを物語にするのも上手い。
『雁坂越』は、甲州の上流の寒村に住む少年が、継子イジメに合い、家を出ることを決意する話。
雁坂峠は、
話をしているのは全く叔父で、それに応答えをしているのは平生 叔父の手下になって働く甲助という村の者だった。川音と話声と混じるので甚く聞き辛くはあるが、話の中うちに自分の名が聞えたので、おのずと聞き逸すまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産しんだいだから、嚊 が勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえ奴を入れるよりは、怜悧で天賦 の良いあの源三におらが有ったものは不残 遣るつもりだ。~中略~おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋を解といてくれたり足の泥どろを洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。」~中略~これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立ほどたって力無げに悄然 と岩の間から出て、流の下しもの方をじっと視ていたが、堰あえぬ涙を払った手の甲を偶然ふっと見ると、ここには昨夜ゆうべの煙管の痕あとが隠々と青く現れていた。それが眼に入るか入らぬに屹きっと頭を擡げた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山を睨んで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一ト歩あしは一ト歩より遅くなって、やがて立止まったかと見えるばかりに緩のろく緩くなったあげく、うっかりとして脱石に爪端を踏掛けたので、ずるりと滑る、よろよろッと踉蹌 る、ハッと思う間も無くクルリと転ってバタリと倒れたが、すぐには起きも上り得ないでまず地に手を突いて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたか滝のごとくに涙を墜として、ついには啜り泣きして止まなかったが、泣いて泣いて泣き尽つくした果てに竜鍾 と立上って、背中に付けていた大きな団飯 を抛り捨ててしまって、吾家を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実 に働いて、叔父が我が挙動しうちを悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母の酷ごさをさえ忘れるほどであった。ちくま日本文学全集『雁坂越』p.74
うううっ、可哀想。
源三少年が、幼馴染の少女に「
露伴の作品には選び抜かれた言葉がちりばめられてます。
これを1つ1つ紐解いていくのは容易なことではないけれど、この場合ここでは『泫然』という言葉でなければならない気がしてきます。
ひたすら難解な言葉と、過度な説明を一切省いた展開は、物語を分かりにくくすることもある。
次にお話しする『雪たたき』は、一回読んだだけでは分からない部分もありました。
でも通して読んでいくにつれ、不確かだった部分が埋められていく。
近ごろ、字幕付のバラエティー番組に慣れ、テレビでの連続物には前回のおさらいがつくようになりました。
甘やかされた視聴者・読者となった身では、その一切のサービスが省かれた文章は辛い部分もある。
しかしどうしてどうして、慣れればなんということもないのだから人間の適応能力が凄い。
『雪たたき』は、雪の日、とある門下で下駄の間に挟まった雪を、「トン、トン、トン」と蹴り落とそうとしたところ、門内の女に、女主人の密会の男の合図と勘違いされるところから物語は始まる。
屋敷内に引き入れられた男、木沢は、女主人に手厚く詫びられるが、夫の留守に浮気をしていることを知り、夫の笛を持ち去ってしまう。
娘の悔恨を知り、娘の父親である大店の主人が、男の元を訪れ笛の返却を申し出るが、木沢は断じて応じない。
大店の主人と木沢が押し問答をする屋敷内には、何人もの浪人がいて、彼らは主家再興のための出陣の密談で集まっていたのだが、木沢たちの話を聞いた1人が、笛を返す代わりに軍資金を出させるよう持ち掛ける。ところが「損得勘定」に関わる物事は一切受け付けない姿勢を堅持する木沢。
説得する者が1人増え、2人増えと、その場に居た全員が木沢に頭を下げると、木沢はとうとう観念する。という流れ。上・中・下と別れた章で、浮気という個人的な小事が、お家再興という大事にまで発展していく様子が面白かった。同士の説得に、損得勘定では動かなかった木沢が折れ、「損得にはそれがしも引き廻されてござるカナ」と言っているのが可笑しい。
明治維新より遡ること8年、慶応生まれの露伴は、幼少の頃、現実の武士の世界も見ていたのかも知れず、リアルな物言いや考え方が描けるのは、そのせいではないのかな。
『鵞鳥』に登場する細君は、『太郎坊』『貧乏』と同じく出来た女房。
玄関の格子の開く音で、夫の様子と常とは違うこと察するというのだから、見上げたもの。夫の気落ちは、学校に臨幸あらせられる天皇の御前で、製作をしなければならない職人としての不安が原因だった。
女房は、夫の同僚を呼んだりして慰める。職人としての夫の気構えや、女房の心遣いが心にしみる作品。
意外だった作品が『野道』
娘の幸田文に、掃除から何からの躾・手ほどきをしたと言われるけど、そんな露伴さんにも先達はいる。
野遊び行軍に誘われた主人公は、諸先輩から食べられる草、毒草を教わるばかり。学ぶことの楽しさを春の野道を舞台に知らされた、心温まる話だった。
以上で、9作品。
『蒲生氏郷』は、戦国時代の武将で、織田信長の娘婿なんだっていう人物。物語の3分の1位は、伊達政宗の話で、あれあれっと思ったが、どうやら露伴さんは氏郷びいきらしい。戦国物は嫌いじゃないけれど、少しばかり読みにくかったので、再読してから、お話したいと思います。
『望樹記』は、「年をとるとケチになる。」ということをテーマにしたお話。糸ゴミを集めてコヨリを作るお婆さんの話や、隣家のとねりこという樹木の話。日常の他愛ないやりとりや行動の中に、大切なものがあるということを再発見させてくれる話なんだと思うけど、読み飛ばしてしまった部分もあるので、これも再読かな。
以上ちくま日本文学全集のお話でしたが、このラインナップ、バランスとてもいいんじゃないかしら。
幸田露伴読めて、楽しい一週間でした。