Marco 知の鍵

メインBlogから本に関するものをピックアップ。ああビブリアみたいな場所で一日中本読んでいたい。

3つ数えて走りだせ 読了

エリック・ペッサンの「3つ数えて走りだせ」読了。

児童文学書なので、さくさく読めてしまった。

この本の主人公、アントワーヌとトニーは家庭に複雑な事情を抱えている。

ラストはそれが思いもかけない形で解決?する展開になるのだが、それはトニーの問題。

アントワーヌの心の傷は癒えないままであった。

あまり色々と書いてしまったら、これから読む人の邪魔になるので差し控えたいが、

彼がおかれている立場はこんな文章でつまびらかになっていたので、抜き出すことに。

 

人気のない道や海岸沿いを走っているあいだは、なにも考えず、頭をからっぽにすることができた。

僕は恐怖を忘れた。

父さんの怒鳴り声も忘れ、よける間もなく飛んでくる手を忘れた。

気まぐれな平手打ちや罵りの言葉を。そんなとき、決まって母さんがどこかへ行ってしまうことも忘れた。

僕はキッチンにいる。父さんはきげんが悪い。ストレスを発散しようと、機会をうかがっている。父さんは口実を見つけ出す。ぼくの成績が悪いとか、背筋を伸ばして食事しないとか、水を持ってこいと言われたのに聞いてなかったとか、なんだっていいんだ。そしてあれが始まる。父さんは僕をろくでなしだと罵り、平手て頬を叩く。ぼくはただ、おろおろするばかりだ。

足がすくんで逃げ出せない。やめてとたのもうにも言葉にならず、自分の手で身を守ることも思いつかない、話もできなければ叫ぶこともできず、鳴き声すらあげられない。

ちらりと脇を見ると、母さんの姿は消えている。罵倒や平手打ちが始まろうとして瞬間、決まって用事を思い出すんだ。植木に水をやるとか、トイレに行くとか、洗濯機をまわすとか。だから母さんはなにも見ていないし、なにも知らないわけだ。

エリック・ペッサン著『3つ数えて走りだせ』p.79より

千葉県野田市の虐待事件のことを思い出した。

野田市の栗原心愛さんの場合のみならず、父親のDVに母親が何も言えなかったケースが数え切れずに起きている。

虐待を止めなかった母親もDVの被害者だ | プレジデントオンライン

多くの場合は、「夫に歯向かうと怒りの矛先が自分に及ぶ」という証言。

「〇〇が叩かれている間は私は安全だったから」と、身も凍るようなことを言う母親もいた。

DV家庭には、とうてい理解できない深い闇があるのだろうけれど。。。

 

アントワーヌの独白は続く。

ある日、熱があって学校の医務室に行ったときのこと、ぼくは一枚のポスターを見た。

そこには少女の悲惨な顔が載っていた。

目のまわりに青あざができ、唇は裂け、髪の毛はばさばさだ。大人から暴力をふるわれたら、このコレクトコール番号に電話するようにと書かれている。

ぼくは少女の顔をしばらくじっと眺め、こう思った。

父さんはまだ、本気で殴っちゃいないんだって。父さんはしょっちゅう、嫌になるほどしょっちゅう、右の頬、左の頬とぼくに平手打ちを食らわせる。でも、このポスターみたいに痛めつけられたことはなかった。

エリック・ペッサン著『3つ数えて走りだせ』p.62より

よもや、DV防止のポスターを見て、被害者の子供がこんな風に考えてしまうとは、

作成した人間も想像だにしなかったことだろう。

DVを受けている子供自身が、自分のおかれた状況をわからないという事実、

「何故助けを求めなかったんだ」と簡単に考えてしまいがちだが、

子供たちの心の底にはこんな感情が巣づいてしまっているのかと、

ドキリとする話だった。

 

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