夏目漱石の「それから」を、38年ぶりに読みました。
高校時代に読んだ時は、「親のすねをかじっている男が、親友の奥さんを好きになり、親からも親友からも絶縁される」という筋のどこが面白いのか、登場人物の誰にも思いを寄せられず、さっぱりだった。
再読のキッカケは…。
『ビブリア古書堂の事件手帖』で取上げられていた岩波書店の新書版を見て「美しい」と思ったことで、
それから数日後、馴染みの古本屋の棚にその全集を見つけて魅了されたのです。
欠巻があるので2000円。坊ちゃんの巻の函に汚れがあるものの、中身はすこぶる良い状態。
欠巻は日記や書簡が収録された巻で、作品は揃っているので購入することにしました。
古書の手触りは、素晴らしい。
オイルショック前の本は、黄色がかった上質の紙質で、反射しないから読み易い。
草津の義母には「あら、それ、お経の本?」なんて、言われちゃったけど。(笑)
そういや装幀が経本みたいだけどこの新書版、持ち歩くのに調度良い軽さと薄さなんです。
例のちくま文学全集を、持ち歩いてた直後だから余計に感じるんだろうけれど。。。
脱線しました、内容についてです。
【登場人物と関係性】
主人公は、長井代助という今でいうニート、高学歴のインテリニートです。
※ 当時はそういう人のことを《高等遊民》といいました。
父親は、明治維新で戦争に出た経験のあるくらいの老人。
今でも至極達者に生きていて、役人を辞めてから実業界に入って何かかにかしているうちに、自然と金が貯まって、この14~15年は大分の財産家になっている
っていう大人物。
兄の誠吾は、大学を卒業すると父親の関係している会社に入り、重要な地位を占めるようになっていて、
代助は、この2人の稼ぎで暮らしているプー太郎です。
兄の誠吾には梅子という奥さんがいて、誠太郎と縫という子供がいる。
誠太郎 15歳は、近頃ベースボールに熱中してゐる。
妹の縫 12歳は、何か云ふと、好くつてよ、知らないわと答へる。
さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。
甥っ子 姪っ子は 代助によく懐いていて、兄嫁ともウマが合う。
代助は家を構えていて、飯炊きの婆やと、門野という書生を下働きに置いている。
職には付かず、本を読んだり、退屈になれば実家に出かけていき、甥っ子姪っ子をからかったり、書生と五目ならべをしたり、兄嫁と芝居の評をしたりして帰ってくる、
という感じ。
ある日、代助の所に大阪に行っていた友人の平岡がやってくる。
彼は大阪の勤め先でしくじって東京に戻ってきたのだった。
平岡の妻三千代と代助は旧知の仲。三千代は、3年前に亡くなった学友-菅沼の妹で、菅沼が生きていた頃は、代助・平岡・菅沼・三千代の4人 親しく付き合っていた。しかし菅沼が腸チフスであっけなく死に、その年の秋、平岡は三千代とか結婚。平岡と三千代の間に立ったのは代助だった。
と、人間関係はそんなところです。
物語は、平岡夫妻の帰京によって、動き出します。
平岡は社会の波に揉まれて生きてきたので、働かずにいる代助が理解できません。
・・・そうか、これは「代助と三千代の恋愛小説」じゃないのか。
当時の男の在り様や葛藤を描いたものとして、大変興味深く読みました。
高校生の時には、サッパリ分からんかったのは、こういうワケでした。
代助の父親は、息子がぶらぶらしていることが気に入りません。
兄も「いい年をした男が妻帯しないで」と心配し再三縁談をもちかけますが、
当人は色々な理由をつけ断わってしまう。
当時は、高等遊民と呼ばれた人が多かったみたいです。
上流家庭の高学歴の子弟が、職に付けずにいた。
金持ちの家の息子が、1人くらいブラブラしても、問題なかろう世の中。
父親の小言の表現が、ちょっと面白い。
「さう人間は自分丈を考えるべきではない。
世の中もある。國家もある。少しは人の為に何かしなくつては心持のわるいものだ。
御前だつて、さう、ぶらぶらしてゐて心持の好い筈はなからう。
そりや、下等社會の無教育のものなら格別だが、
最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。
學んだものは、實地に應用して始めて趣味が出るものだからな」
世間体を気にしてガタガタ言っているんじゃないんです。
最高の教育を受けた者の意識の持ち様を問題にしてる。
目からウロコでした。
代助も彼なりに考えているらしく、作中2度程、持論を展開しています。
3年ぶりに再開した友人の平岡と、「飯でも食はう」ということになり、無理に引つ張つて、
近所の西洋料理へ上がつた。両人はそこで大分飲んだ。
(中略)
代助は面白さうに、二三日前に行つた、ニコライの復活祭の話をした。
(中略)
「人気のない夜櫻は好いもんだよ」と云つた。
平岡は一寸気の毒さうに口元を動かして「好いだらう、僕はまだ見た事はないが。
――然し、そんな眞似が出來る間はまだ氣樂なんだよ。世の中へ出ると、中々それ所ぢやない」と
暗に相手の無經驗を上ら見た様な事を云つた。
代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。
(中略)
「無論食ふに困る様になれば、何時でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、
何を苦しんで劣等な經驗を甞めるものか。
印度人が外套を着て、冬の來た時の用心をすると同じ事だもの」
平岡の眉の間に、一寸不快の色が閃いた。
代助は、ちと云い過ぎたと思つて、少し調子を穩かにした。
同レベルの教育を受けた男が2人。その後の暮らしぶりの違いで、相反する価値観を持っていく様子が、面白く表現されています。
《それから》というのは、この2人のそれからからきているのか? なんちて。
2度目の議論は、代助が、三千代に金の工面を相談された後のことです。
実際に金を貸したのは、三千代に であり、平岡から頼まれたことではないけれど、
代助が金を工面したことを平岡も知らぬはずはなく、悶々とする2人の会話です。
下記--ピンクの部分は、代助が高等遊民たる意味を綿々と語るところ、こんなに語れるんです。
もし今のニートが「君はどうして働かないのか」と聞かれたらこんなに語れないんじゃないかしら。
「うーん、なんとなく~」としか言えないだろうなと思ってしまう。
平岡は酔ふに從って、段々口が多くなつて來た。
(中略)
「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働いてゐる。又是からも働らく積 だ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。
(中略)
其君は何も爲ないぢやないか。
(中略)
君はたゞ考へてゐる。考へてゐる
丈 だから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐるが、既に無形の大失敗ぢやないか。
何故と云つて見給へ。僕のは其不調和を外へ出した迄で、君のは内に押し込んで置く
丈 の話だから、外面に押し掛けた丈、僕の方が本當の失敗の度は少ないかも知れない。
でも僕は君に笑はれてゐる。さうして僕は君を笑ふ事が出來ない。
いや笑ひたいんだが、世間から見ると、笑つちや
不可 ないんだらう」「何 笑つても構はない。君が僕を笑ふ前に、僕は既に自分を笑つてゐるんだから」
「そりや、嘘だ。ねえ三千代」
三千代は
先刻 から默つて坐つてゐたが、夫から不意に相談を受けた時、にこりと笑つて、代助を見た。
(中略)
「何だか
先刻 から、傍で伺つてると、貴方の方が餘つ程御得意の様よ」平岡は大きな聲を出してハゝゝと笑つた。
(中略)
「君はさつきから、働かないと云つて、大分僕を攻撃したが、僕は默つてゐた。攻撃される通り僕は働かない積だから默つてゐた」
「何故働かない」
「何故働かないつて、そりや僕が惡いんぢやない。つまり世の中が惡いのだ。
もつと、大袈裟に云ふと、日本對西洋の關係が駄目だから働かないのだ。
第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる國はありやしない。
此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外積位は返せるだらう。
けれども、それ
許 りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもいなければ、到底立ち行かない國だ。それでゐて、一等國を以って任じてゐる。
さうして、無理にも一等國の仲間入りをしやうとする。
だから、あらゆる方面に向かつて、奥行を削つて、一等國丈の間口を張つちまつた。
なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。
牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。
其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の厭迫を受けてゐる國民は、
頭に餘裕がないから、碌な仕事が出來ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき
使われるから、揃つて神經衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。
自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。
考へられない程疲勞してゐるんだから仕方がない。
精神の
困憊 と、身體の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に來てゐる。日本國中何所を見渡したつて、輝いてる斷面は
一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何を云つたつて、
何を爲たつて、仕様がないさ。僕は元來怠けものだ。
いや、君と一所に往來してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景氣をつけてゐたから、
君には有爲多望の様に見えただらう。そりや今だつて、日本の社會が精神的、道義的、身體的に、
大體の上に於いて健全なら、僕は依然として有爲多望なのさ。
さうなれば遣る事はいくらでもあるからね。
さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出來て來るだらうと思ふ。
然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。
さうして、君の所謂有の儘の世界を、有の儘で受取つて、
其中 僕に尤も適したものに接觸を保つて滿足する。
進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出來た話ぢやありやしないもの―――」
代助は一寸息を繼いだ。
さうして、一寸窮屈さうに控えてゐる三千代の方を見て、御世辞を遣つた。
「三千代さん。どうです、私の考へは。随分呑氣で宣いでせう。賛成しませんか」
「何だか厭世の様な呑氣な様な妙なのね。私よく分からないわ。
けれども、少し胡麻化して入らつしやる様よ」
「へええ。何處ん所を」
「何處ん所つて、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。
ふう。
長くなっちゃいましたが、当時の高学歴の男同士の会話が、面白い。
途中で三千代も促されて口をはさむけれど、彼女も決して馬鹿ではない。
奇妙なこの三角関係。
平岡にとっては、金を通しての男のプライドもあるのだろうに、それに気が付かない代助の幼さもいい。そんな屈折した思いが、ラストに爆発していくのかも知れないなと思いながら、友人同士の駆け引きを楽しみました。
物語の終盤、
代助の不貞行為が、父や兄の知るところとなり勘当されるんですが、
絶縁を言い渡された代助の様子が圧巻でした。
兄の去った後、代助はしばらく元の儘じつと動かずにゐた。
門野が茶器を取り片づけに來た時、急に立ち上がつて、
「門野さん。僕は一寸職業を探して來る」と云ふや否や、鳥打帽を被つて、
傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。
代助は暑い中を馳せない許に、急ぎ足に歩いた。
日は代助の頭の上から眞直に射下した。「焦げる焦げる」と歩きながら口の内で云つた。
(中略)
「あゝ動く。世の中が動く」と傍の人に聞こえる様に云つた。
(中略)
忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、
くるくると回転し始めた。
傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあつた。
傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を撒いた。
四つ角に、大きな真赤な風船玉を賣つてるものがあつた。
電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸けて來て、代助の頭に飛び込んだ。
小包郵便を載せた赤い車がはつと電車と摺れ違ふとき、又代助の頭の中に吸ひ込まれた。
煙草屋の暖簾が赤かつた。賣り出しの旗も赤かつた。
電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと續いた。仕舞には世の中が真赤になつた。
さうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回轉した。
代助は自分の頭が焼け盡きる迄電車に乗つて行かうと決心した。
作中の51ページに、代助の興奮・安らぎに対する色の話があるけれど、それがラストの “赤” の伏線だったのではないかと思いました。
そうやって、何回か読み返してみたいと思う作品が、やはり名作たる由縁でしょう。
(下記はその抜粋)
「代助は、ダヌンチオが、自分の家の部屋を、青と赤に塗り分けて住んでいるという話を思い出す。
生活の二大情調の発現は、この二色に他ならんと云う心理学者の説を応用した試みらしく、興奮を擁する部屋-音楽室や書斎を赤く塗り、寝室や休憩室など精神の安政を要する部屋は青にするというものだが、代助は何故ダヌンチオほどの刺激を受けやすい人に、奮興色の赤が必要なのか解せないでいる。
彼自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来るなら自分の頭だけでもいいから、緑のなかに漂わせて安らかに眠りたい位である」