Marco 知の鍵

ああ、ビブリア古書堂みたいな場所で一日中 本を読んでいたい。

柳橋を歩く

隅田川沿いを散歩しているうちに、もう少し足を伸ばして柳橋に行きたくなりました。

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柳橋というと、昔から新橋、赤坂と並ぶ三大花街のひとつです。 

芸者さんもそれぞれの地の利で特徴があるらしく。

その辺りのことを詳しく研究され、詳しく解説されているサイトがあったので、

紹介させていただきたいと思います。

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 『社会実情データ図録』実に興味深い。

『社会実情データ図録』を運営されている本川 裕さんによると、
「花街の構成は、宴席専門の芸妓のみの場合もあれば、枕席(ちんせき) 専門の娼妓のみの場合もあれば、両者が混合している場合もある。二流以下の花街では、芸妓のみの花街であっても宴席を盛り上げるとともに接待の延長で枕席に侍る芸妓 ( この合意を得ることを「転ばす」といった ) がいない訳ではなかった。花街は花柳界とも呼ばれるが、戦後、娼妓が禁じられたため、花柳界というと芸者まちのイメージが強い」とのことです。
実に興味深い。

図録▽東京・大阪・京都花街の芸妓(芸者・芸子)(昭和初期)

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また、柳橋について面白い記述がありました。

「『柳橋』は、吉原、深川などへの舟運(猪牙舟(ちょきぶね)の出発地に位置し、元吉原から発した踊り子・三味線師匠の流れに、天保の改革の幕府による取締りで流れてきた深川の辰巳芸者などを加え、浅酌低唱の客を集めて大繁盛し、明治時代のはじまりの段階で、江戸の伝統をひきつぐ町芸者の開祖となった花街である。古来遊女は川遊びとの親和性が高いが、柳橋では大正の初めごろまで、駆け出しの芸者のことを『あの()はまだ船もうまく乗れない奴だ』といったそうである(滝川1958)。」

ふふ、更に興味深い。


柳橋の欄干は、かんざしでした

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柳橋のたもとには柳と、風情ある佃煮屋さんが。。。

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因みに、『図録▽東京・大阪・京都花街』によりますと、新橋は…。

「『新橋』は維新の志士との付き合いが深く、明治の交通新拠点に開かれた新興の花街であり、明治に入って柳橋を凌駕する威勢をしめした。戦後も外務省が海外の賓客を迎えた。芸者の本場とされる柳橋の芸者が基本的に江戸っ子のベランメイ女であり、明治の官員となった田舎武士とそりが合わなかったのに対して、新興の新橋芸者は現金主義で人みしりをしないところが新時代にふさわしく、繁昌の中心が柳橋から新橋にシフトしたのも同じ理由とされる(三田村1926)。」


伊藤博文さんを初め、多くの維新の志士たちが実際に京都の芸子さんを妻に持つことが多かったけれど、江戸っ子芸者と田舎武士の相性が合わなかったというお話も、実に面白い。

この『図録▽東京・大阪・京都花街』、神楽坂・日本橋、深川・浅草などの花街の特徴が、参考文献が明記され上で乗せられているので、大変勉強になりました。 

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