Marco 知の鍵

ああ、ビブリア古書堂みたいな場所で一日中 本を読んでいたい。

芥川龍之介 『ひょっとこ』

 

 

f:id:garadanikki:20151102113116j:plain『ひょっとこ』は、大川端を舞台にした小説として『大川の水』『老年』に次ぐ三作目になります。この3つを“大川端3部作”と呼ばれているそうで、なるほどテイストは同じかも知れません。

【物語の序盤】

流石、生まれ育った土地を舞台にしているだけあって、ディテールの行き届いた描写が光ります。

物語は、吾妻橋の欄干に人垣が出来ていて、橋の下を通る花見の船を見物しているところから始まります。このシチュエーション、よく考えたら面白い。橋の上の人たち、桜の花の見物客かと思いきや、桜の花を見物している船の上の人を見物しているのですから。あっ…話が脱線してしまいました。

兎に角、その臨場感には驚きです。 “ ひょっとこ ” の面を被った男が、船の上で亡くなる場面まで、一気に読ませます。どこにも淀みがありません。

もしかしたら芥川さんは、頭の中に、既にこの情景が出来上がっていて、目をつぶると音は聞こえ、風景が現れ、ただそれを、どんどん原稿用紙に落としていくようなことだったのではないかと想像してしまいます。それはモーツァルトが、頭の中に完成しているメロディーを、書くことが間に合わないようなもどかしさを感じながら、譜面に書き込んでいくのと同じように。

ワタシは、里見弴さんのファンで、『俄あれ』を読んだ時にも同じ感動を覚えましたが、芥川さんは、里見さんの描写力に、江戸文化を満遍なく盛り込める引き出しをプラスした作家のように思いました。恥ずかしいほど月並みな言い方ですが、やはり天才なのだと。

序盤には、意外な表現が散りばめていました。
例えば、船上の音曲を表わすのに…

その滑な水面を、陽気な太鼓の音、笛の音、三味線の音が 虱(しらみ) のようにむず痒く刺している。

音曲が軽妙に変わる様を…

橋をくぐる前までは、二梃三味線で、「梅にも春」か何かを弾いていたが、それがすむと、急に、ちゃんぎりを入れた馬鹿囃子が始まった。

(笑) チャンカ、チャンカ、チンチンという、ちゃんぎりの音が本当に聞こえてきそうです。

酔が回ってきた男の様子を…

ひょっとこの足取がだんだん怪しくなって来た。丁度、不規則な Metronome のように、お花見の手拭で頬かぶりをした頭が、何度も船の外へのめりそうになるのである。

言いえて妙。メトロノームとは。


【物語の中盤】

船の上で亡くなった男のことが語られていきます。男は山村平吉。彼がどのような酒飲みか、しらふの彼はどんな人物かが紐解かれていきます。
ここで、殆ど脱線に近い話になりますが、ある言葉に個人的に大ウケをしてしまいました。 平吉がひょっとこ踊りをするようになった経緯が描かれている部分に、次のような文章がありました。

ただ、酔うと、必ず、馬鹿踊をする癖があるが、これは当人に云わせると、昔、浜町の豊田の女将(おかみ)が、巫女舞(みこまい)を習った時分に稽古をしたので、その頃は、新橋でも芳町でも、お神楽(かぐら)が大流行だったと云う事である。しかし、踊は勿論、当人が味噌を上げるほどのものではない。悪く云えば、出たらめで、善く云えば 喜撰(きせん)でも踊られるより、嫌味がないと云うだけである。

この『喜撰』という言葉で、若かりし頃のエピソードが思い出したのです。

 
【喜撰でも踊られるより…】

子供の頃、日本舞踊を習っていたのですが、3人目のお師匠さんは、それは上品な踊りを踊る人でした。
ある年の発表会で、その師匠が『喜撰』を演目にかけたました。
それを見に来た、我が家の遠縁のババアが、観客席でいきなり吼えたのです。
「気取った踊りをする師匠だね。あたしゃ嫌いだね。」
母はババアを招待したことを深く後悔したといいます。

愛すべきそのババアは、かつては向島、その時分 伊東で芸者をしていた人でした。
年は50もとうに過ぎた大年増。歯に絹 きせずに物を言う人でした。
そのババアには、ワタシも相当しごかれました。ババアにおそわったお茶の出し方、湯の入り方、洗髪の仕方などなどは、今でも沁みついています。
さて、ババアが「好かん」と言った『喜撰』は、踊り手によっては、嫌味なほど、きざになりかねない難しい演目なのだと、のちに母から聞かされました。踊りの善し悪しではなく、芸者好みではないということだったようです。そんな強烈な思い出のある『喜撰』という言葉が、思いがけず出てきたもので、ウケてしまったのです。

今回は、まとまりもなく、個人的な話になりましたが、
この作品には、ワタシなどには到底わからないような、粋な風習やエピソードが、沢山詰め込まれているのだと思います。それを20代の青年が書いたわけですから、重ねて言いますが、本当に驚くべき作家です。

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