まるで老齢作家の懐古作品のようにも思えますが、このエッセーを書いた時、彼はまだ、文壇にデビューする前の若者でした。
署名で掲載されたが、本文末に(一九一二、一、)とあることから。)
幼少年期に、このような芝居に親しむ環境にあったことも、ワタシにとって驚くべきことでした。
大叔父に河竹黙阿弥とも交流のあった人物がいたことも、何かの縁かも知れません。
そうした素養に、異常な程の多読家だったことも加わり、研ぎ澄まされた感受性も併せ持つ青年だったからこそ、齢二十にして、このような文章が生み出せたのかも知れません。
また、彼の早世が、生き急いだ故にあったのではないかと感じてしまいました。
話はワタクシごとに転じますが。
江戸っ子の父(父の父は神田、父の母は浅草)も、よく下町の風景を懐かしんでいました。
私自身は世田谷で育ち、下町に知己を得ませんが、或る夏、父と隅田川を歩く機会があり、懐かしそうに川を見ている父の姿から、私までもがノスタルジックな気分に陥ったことが思い出されます。代理的懐古心理が生じたかも知れません。
隅田川の流れは、ワタシが育った多摩川の “ のびのびした自然の川 ” と全く違った印象でした。
独特の匂いと存在感があり、今までに感じたことのない威圧感がありました。
今回『大川の水』を通して、自然が人間形成に与える影響に興味を抱き、久しぶりに大川端を散策したくなりましたが、その折は、百本杭も訪ねてみたいと思います。
【memo】
大川の地理を知る上で参考にさせていただいたのが、久保田 淳先生著の『隅田川の文学』(岩波書店)です。
特に、巻頭の隅田川周辺概念図 中流地域・下流地域の二枚の地図は、『大川の水』を読み進めるにあたり、位置関係がわかって、非常に助かりました。
※ 地図を書き写したものを添付しました。コチラをクリックしてください。
【その他の参考文献】
下記は『大川の水』を朗読された秀作です。